アフリカに根付く製造業 日本人経営者の奇跡
皆さんこんにちは!
製造業経革広場の山口遥です!
アフリカネタ第二弾ですが、
そろそろ皆様、山口はアフリカが好きなのだと気づいてきたのではないでしょうか?(笑)
今回は、私が最も尊敬する経営者の1人
ケニア・ナッツ・カンパニーの元CEO 佐藤芳之さんを紹介します。
ケニア・ナッツ・カンパニーは、1974年創業の、マカダミアナッツの製造会社です。
私達の身近にあるような金属加工の製造業ではなく、食品の製造業です。
単身渡ったケニアで、年商30億円の会社を築き、
70歳を超えた今も新事業に挑戦している、実態をご紹介します。
縁あって、色々お話を伺う機会をいただきました。
OUT OF AFRICA アフリカの奇跡 世界に誇れる日本人ビジネスマンの物語
食品の製造ではありますが、情熱と信念を持って仕事をする様はどんな業種にも通ずるものがあると思います。
常に挑戦するその姿勢から、何か感じ取っていただけたら幸いです。
○佐藤芳之、その人とは
1939年、宮城県の南三陸に生まれます。
とても裕福な家柄に生まれたそうですが、第二次世界大戦にて河原の草を食べて生きる生活をしていた、とのことです。
お父様は、地元で教師をされていたそうですが、後に埼玉県川口市で鉄工所を始めました。
学生のころは父親の仕事を手伝っていましたが、持ち前のフットワークの軽さと好奇心旺盛な性格から、アフリカに憧れを持ち始めました。
東京の大学を卒業後、ガーナの大学に進学し、アフリカへの関心を一層高め、1966年から5年間、ケニアの日系繊維企業に勤めた後、ケニアにて色々な事業を始めます。
○たくさんの挫折
佐藤さんの人生は、まさに波瀾万丈でした。
全てが上手くいった訳ではありません。
始めようとした事業がいくつも失敗に終わっています。
リアカーの製造、鉛筆の製造、ナイロビで鉄工所、園芸作物の輸出業などの企画をします。
リアカーの製造、鉄工所は企画止まりでしたが、鉛筆の製造は1973年に始まり、1980年に撤退します。
たくさんの紆余曲折を経て、ケニアのマカダミアナッツに出会いました。
「これはいける!」と思い、当時の明治製菓の社長の協力を得て、1974年にケニア・ナッツ・カンパニーを設立します。
当時の佐藤さんは35歳、スタッフも数名だったとのことです。
「実家がものづくりをやっていたから、自分はどうしてもものづくりに携わりたかったんだ」
佐藤さんは、そう仰いました。
ビジョンを示せば、その場面その場面で助けてくれる人が出てくる。
この言葉に、佐藤さんの強い人間力を感じました。
○ケニアでの経営
「ボランティアで支援するつもりはない。」
と仰ってらした佐藤さんは、ビジネスとしてケニア・ナッツ・カンパニーを4000人もの規模の会社に育てました。
日本での経営とは全く違うのが、アフリカでの経営です。
倫理観・道徳観が違うことに苦労されたそうです。
ナッツの買い付け先の農家で、ちゃんと苗木を育ててもらうのが一苦労。
(すぐに収入に繋がらない木を育てる目的を理解してもらうことが大変!)
ナッツの集荷の車が強盗に襲われることもあったそうです。
「言葉は風」と言われるように、嘘をつくのは当たり前。
「そうだよな。少なくとも、君はそう思ったんだよな。」
まずは、受け入れることが大事。
これって、日本においても同じことが言えるように私は思います。
ケニアで購入した土地をカバに踏み荒らされる、
タンザニアでナッツの木を植えたら象の大群に踏み荒らされる…なんてこともあったそうです。
また、「北米市場を一気に押さえたい」という欲と焦りから50代のときにブラジルに進出します。
しかし、これから操業という時、武装勢力に工場を占拠されました。
現地パートナーとグルの警察署長の手先らしい、とのことでした。
○挫折から成功、そして今
ケニア・ナッツ・カンパニーのマカダミアナッツは“アウト・オブ・アフリカ”というブランド名で、
空港の免税店や機内スナック、ヨーロッパのデパートに出しています。
2008年、ほぼ無一文で会社をケニア人に譲渡しました。
日本人は、役割を終えたら去るという考えでした。
そして今、佐藤さんは新たな会社を立ち上げました。
オーガニック・ソリューションズという有機肥料の生産・販売の会社です。
有機肥料に限らず、汚水処理にも効果がある微生物技術は、ケニア、ルワンダに広がり、
ウガンダやタンザニア、ガーナにも広げているところだそうです。
○佐藤さんに学ぶ、最高に人生を楽しむ方法
70歳を過ぎてなお、留まらない意欲に、終始圧倒されてしまいました。
今は、微生物ビジネスをアメリカでも展開しているそうです。
そんな佐藤さんは、自分はまだまだ発展途上だとおっしゃいます。
自分の中に、ゆるがない真実をいくつ持てるか?
正義だと思える仕事をしなさい。と教えてくださいました。
そして、常に原点に戻ること。
これだけの実績を上げても、決して奢らない佐藤さんの懐の深さを感じました。
何より、人生がとっても楽しそう!
仕事はプライベートを豊かにするもの。痛い目を見たからこその言葉の重みでした。
まだまだ、これから!
とお話する佐藤さんは、20代の若者のような目の輝きでした。
どうしても、景気の悪い話に耳が偏りがちですが、
希望を忘れず、常に挑戦する姿勢と情熱をたくさんの方と共有できたら…
と思います。
今年もあと少し。
気合を入れて、楽しい新年を迎えましょう!