町工場ぶっちゃけ対談 vol.11 ~特別編・栗原親子対談~

こんにちは!会いに行ける町工場社長、栗原です!

春爛漫、皆様いかがお過ごしですか?うちの職場では3月の最後の土曜日にお花見を敢行!都内足立区の舎人公園は満開ちょっと手前ってところでしたが、気持ちよく桜の花を愛でて参りました。もちろん、宴会も盛り上がりました!

そんなちょっと浮かれ気味の株式会社栗原精機ですが、4月1日に新しいスタッフを迎え入れました。実は、私の長男なんです。大学卒業後は全くの畑違いの道に進んでいたのですが、本人の強い意志の元、家業を継ぐべく帰ってきました。

今回の町工場ぶっちゃけ対談は、特別編として、親子対談をお送りしたいと思います。なんだか、内輪話をおおやけに披露するみたいでお恥ずかしいのですが。昨今、後継者不足で廃業を余儀なくされる町工場が多いというこの状況での中で、うちの親子関係が、ひとつの実例として、少しは世の中のお役に立てれば。。。。

ではここからは、進行役をダイレクトメールサービス「たより」の後藤天美さんにお願いして、話を進めてまいりましょう。

ここから、聞き手・執筆は後藤天美さん

2019年、平成も残りわずか。桜が舞う中、発表された新元号は「令和」。行ってきました、聴いてきました!「会いに行ける町工場社長栗原さん」とのものづくり対談、第11弾。今回は、特別編?番外編?栗原精機重大ニュース発表の巻でございます。

対談場所は、ぎりぎり川口市、ほとんど草加市という場所に位置する(株)栗原精機。今回の対談のお相手は、栗原さんのご子息、栗原匠(たくみ)さん。町工場ぶっちゃけ対談初の親子対談。なんとなんと、この4月から栗原精機にご入社!ということは。。

前職の退職から栗原精機への入社まで

―たくみさんは、確かリーガルコーポレーションにお勤めだったのでは。イケメン若手社員として、雑誌でも特集されてましたよね。

匠:はい、この4月から正式入社になりました。前職はリーガルにいました。確かに、雑誌には掲載されました(笑)

―4月から栗原精機に!いろんなことを聞きたいですが、リーガルって、あの靴のリーガルですよね。超有名な。前職では、どんなお仕事をされていたんですか??

匠:ずっと、アパレルというか、ファッション業界にはとても興味があって。リーガルの靴も大好きだったので。アルバイトからそのままリーガルに入社しました。最初は販売、渋谷の店舗に異動してからは、販売の他に、商品の企画開発に携わったり、あとは広報活動もやっていましたね。

栗原:渋谷のショップは、リーガルのコンセプトブランドをカタチにしたというか、他の店舗とはちょっと趣が違うんだよね。

匠:まず、店舗で企画開発を行うこと自体なかったですからね。自分の声がカタチになったり、自分が動くことで売上を伸ばしていくことができたり、それはそれで、すごく楽しかったです。

―そんな、メインでご活躍をされていて(しかも渋谷のブランドショップで)『これから!!』という時期に、リーガルを退社されたってことですか??…栗原精機に入社をされたのも、事業継承を意識されてのこととか?

匠:実はですね、事業継承はずっと僕の頭の中にはあったんです。30歳を前に、リーガルの渋谷の店舗で、企画開発をして、売り上げを伸ばして、そんな自信と実感が、栗原精機へ行こう!!という決断に向けての背中を押したというか。

栗原:匠は、平成元年生まれで。4月に新元号が発表されて、5月から令和元年。なんとも、これも運命的というか。

―栗原さんは、匠さんから栗原精機に入社するって聞いた時、やっぱりガッツポーズでしたか??

栗原:ガッツポーズはしないけど(笑)。いや、匠が会社のことを考えてくれているんだなぁ、とは、ずっと感じていて。嬉しいのは嬉しいよ、そりゃ。でも実際は、いろんな葛藤の中で、4月を迎えました。会社も厳しい時期もあったし、これからだって、順風満帆とはいかないだろうし、本当にこれで良いのか??と、思うこともありますよ。

匠:先代が亡くなったということもあって、会社を継いでいこうという決意を固めましたね。実は、亡くなる前に、先代と二人で飲みに行って。『どんなカタチであっても、栗原精機を残したい』と、想いを託されていて。

栗原:え??飲み行ったの?親父と?二人で?どこにー??

匠:あそこ、ほら、近所の○○(お店の名前)

栗原:へっぇーーーー

―栗原さん、ご存じなかったんですか??

栗原:いや、後日談で、そんな話は聞いてたけど。お店の場所まで聞いてないし、俺は親父と二人で飲んだことないし(笑)

―なんと(笑)。お母様は?どんな反応されましたか?

匠:母には、リーガルに就職したときから、ずっと栗原精機の跡を継ぐから、とは、話していたんです。どんな形でも応援するから、とはずっと言われてました。

栗原:何かね、そっち(奥サマ)とは、俺より頻繁に話してたみたいよ。

―笑笑。でも、栗原さん、匠さんが後継者として帰ってきてくれて、もう万歳三唱ですね。

栗原:いやいやいや。勤め人では抱えることのない、社員、仕事、借金、諸々。リスクを背負わせてしまうことへの不安というか。さっきも話したように、これで本当に良いのか?と思っている自分と、心の奥底では嬉しい!のガッツポーズをとっている自分と、なんか不思議なカンジですよ。

―やっぱり、嬉しいんじゃないですか!素直じゃないなぁ。

栗原:そりゃ嬉しいって。でも、一番うれしかったのは、匠が後継者として栗原精機に帰ってくるよって、会社の幹部である専務と常務に伝えた時、二人がすごく喜んでくれた瞬間。と同時にホッとしたともいうか。幹部に反対されたらどうしよう、とか、実はドキドキしてたから(笑)

栗原精機のこれから

―匠さんという若い力が会社に帰ってくることで、会社の未来が見えてきたってカンジですかね?

栗原:そうだね、新しい命が吹き込まれるっていうか。そこから、社員さんや取引先、関係先の皆さんに、匠の話をお伝えして。みんな喜んでくれたよね。

匠:実は3月からちょうちょく会社には来ていました。有給をとって。。。今までいた世界とはまるっきり違うし、わからないことだらけです。専務や常務や、僕が子供のころから可愛がってもらっているので、なんだか照れるというか、違和感もあって(笑)

―4月になって、改めて正式に社員になって、後継者として皆さんの前に立たれたときは、どんなカンジでしたか?

匠:社員のみんなや、関係する方々と、今栗原精機として行っている一つ一つの作業をもっとより良くしていかなければならない、という実感が湧いてきました。

栗原:経営者としての勉強も積んで、一本立ちしてもらわないとね。いずれは一人でやっていかなくちゃならない。

―メイカーズリンクの運営者として、全国的にも有名な栗原さんですが。。。

栗原:メイカーズリンクの、ものづくり全体を盛り上げていこうって活動の必要性も含めて、理解してほしいとは思ってますよ。『ものづくり』が、この国からなくならないように!

―ものづくりへの心意気、ここがないと、人も集まらないですもんね。

栗原:人が集まる場づくりであったり、ものづくりをアピールしていくこと、心意気も大事だし、何より母体、土台となる栗原精機を任せられる存在ができたということは、今後の大きな力になりますよ。

―今のこの世の中で、この栗原精機のこれからの事業継承への道というのは、匠さんが考えているよりも影響は大きいと感じます。

栗原:事業継承、後継者に悩んでいる方たちに、栗原精機の姿をみてもらって、勇気を与えられるような会社にしていきたいよね。

―最後になりますが、匠さんがこれからの栗原精機の未来をどう考えているか、教えてください。

匠:自営から企業へ、会社としての仕組みや組織はとても大切だと思っています。商売をするからには、栗原精機で働いていて良かった!と思ってもらえる会社に成長させたい。僕が一企業の中にいたからこそわかること、それは、若い人が将来、未来に夢を持っていない、ということなんです。それじゃ、ダメだろう、社員さんの幸せこそが、会社の宝になるはずと強く感じています。そんな会社の未来をつくっていきたいですね。

栗原:この先、必ず苦しい時期もあるだろうと思うけど、今の志を忘れずにて欲しいねぇ。

―うーーん、素敵ですねぇ。。

栗原:でもまぁ、若い人に託す決断ができた!ということ。ここが何をおいても、一番の幸せなんだろうなぁ、と、今日話していて思いますね。

―前職での広報経験も、匠さんの強みですね!

匠:ブランドを広めるための活動、これが、今後栗原精機で生かせていけるんじゃないかと。任せてほしいです。

栗原:その経験は、この製造業界では思いもつかないようなアイディアが生み出せるはずだから、とっても期待してますよ。

番外編親子対談、いかがでしたか??事業継承に悩むすべての中小企業の経営者さんにとって、勇気をもらえる内容だったのではないでしょうか。「若い人に託す決断」私は、この言葉が一番心に残りました。町工場社長のものづくり対談、次はいずこへ??そしていつかな??(笑)

ここから再び文章は栗原

さて、いかがでしたか?事業継承の話になると、スポットは後継者がいるかいないかに当たりがちです。よく統計調査に現れる後継者のいない中小企業は6割とか7割とか。でも、ちょっと見方を変えたらどうでしょうか?後継者がいない、イコール、その会社の仕事が世の中に本当は必要ではない?かもしれない。ちょっと乱暴な言い方ですが、必要とされる仕事なら、事業として成り立つはずだし、事業として成り立つなら、社長の息子でなくたって、後を継ぐ人は必ず現れると思うんですよね。

ちょっと持論展開みたいになっちゃいますが、問題は、人材がいない云々以前の、仕事が、事業が継続されていく価値があるかどうか、だと。。。こう言っちゃうと、まるでうちにはその価値があるし、だから後継者もいるんだぞって自慢みたいですが、先代から50年、頑なに守ってきたものと柔軟に取り入れた新しいものと、まあ、それなりに苦労と紆余曲折を経て、今があるんだって自負はしてます。でもって、なお、「この国のものづくり」がもっと盛り上がるようにって、ほんとに微力ですけどね、あと、もうちょっと頑張ろうって、本当に全部を息子に引き継ぐまではって、そう思っています。

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