月井精密のデジタル化への道【1】

こんにちは。名取磨一(なとり きよかず)と申します。

月井精密株式会社 http://www.tsinc.jp

Natori High Precision Thailand CO.,LTD. http://www.tsinc.jp/natori_high_precision-thai.html

株式会社NVT https://terminal-q.com

の代表取締役をしております。今後ともよろしくお願いいたします。

今回は自己紹介

僕は都立日野高等学校を卒業後、18歳で祖父の経営する月井精密株式会社に入社しました。進学したいという気持ちもありましたが、当時祖父は75歳。技術を教えてもらうには進学を待つ時間的余裕がありませんでした。同級生300名の中で卒業後一般企業に就職したのは僕一人だけでした。

月井精密には当時数名の社員がおりましたが、僕が入社した直後に全員辞めてしまい、僕と祖父の二人だけの職場が二年間続きました。休日は日曜日だけという過酷な会社でしたが、高校時代からバイク好きということもあり機械が大好きで、汎用旋盤・汎用フライス盤に没頭する毎日がとても楽しかったです。

職人気質の祖父は、ものづくりにおいて、「見る・聞く・嗅ぐ・感じる」ことが最も重要である。と教えてくれました。特にドリルの研ぎ方、エンドミルの研ぎ方、完成バイトの研ぎ方など、刃物の研ぎ方を教わるのがとても楽しかったです。

加工する材質の硬度に合わせて自分で研いだ刃物を汎用の工作機械に装着し、手動で機械を操作して金属を削る。その時に機械から出る音や振動や臭いを感じ取り、それが製品の仕上がりにどう影響するのかを仮説を立てて検証し推理し、改善していく。刃物というものの奥深さにどっぷり浸かった充実した毎日でした。

そんなある日

祖父が脳梗塞で倒れました。工場内で真っ青になって震えていた祖父を発見し、急いで救急車を呼んだため、一命はとりとめましたが、左半身が不随になってしまいました。一級技能士の職人にとっては翼をもがれるほどの致命的なダメージでした。その日から祖父は入院とリハビリの毎日で、工場には来られなくなってしまいました。

たった一人の職場で、誰とも会話することもなく朝から深夜まで仕事をする毎日。当時20歳の僕には過酷な日々でした。見積・加工・納品・経理・会計・給料計算、すべての業務を一人でこなさなければならない上に、誰も教えてくれない状況は正直辛かったです。

デジタル化への道

そこでまず取り組んだことは、インターネット回線を引くことでした。当時の工場は、なんとまだアナログ回線の黒電話でした。社員は僕一人という状況では困ったときのインターネット検索が生命線だと思い、生まれて初めてパソコンを購入しインターネットの環境を整備しました。

そこから一気にすべての業務がアナログからデジタル化されていきました。手書きの見積書・納品書・請求書は販売管理システムに、タイムカードや給料計算は勤怠管理ソフト、会計は会計ソフト、FAXはメール、買い物はアマゾンと大塚商会、月末の振り込みや入金チェックはネットバンキング、手書き設計はCADへ。

祖父がリハビリから戻ってきたとき、劇的に変化した工場環境と事務処理環境を見て、祖父は社長を退く決断をしたそうです。20歳で事業承継を受けた僕はアナログ技術の伝承の難しさに直面しました。若い社員を採用し、「技術は、見て・聞いて・感じるものだから、10年間本気で修行して、やっと身に着くものなんだ!」と言い聞かせたところで「よし!10年後に給料がもらえるようになるなら10年間修業しよう!」なんて言う若者はいるはずもなく、八王子市の主催する集団面接会に来た新卒者に、どんな会社で働きたいかを聞いて回りました。

すると、デジタルツールやIT機器を使いこなしている会社、情報の透明性の高い会社、修業期間の短い会社、などの意見が多かったので、月井精密の当面の第一目標は「IT機器を使いこなし、暗黙知を数値化し、情報の透明性を高め、修業期間を短くして、若い人材が早く自立できるような空間を提供すること」となりました。

まず、手動の工作機械では新人が技術の習得までに3年はかかってしまうので、数値制御の工作機械を導入し、数か月間の教育で自力で製品が作れるような社内体制にしようと考えました。マシニングセンターの見積をもらうと1,400万円とあり、20歳の僕には見たこともない数字でしたが、とりあえずプレゼン資料を持って銀行に相談に行くことにしました。

つづく

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